騎西城

築城者・築城時期は不明。康正元年(1455)に上杉勢が守る城を足利成氏が攻略したのが初見。その後は古河公方の前線基地となる。

永禄六年(1563)、上杉謙信が北条・武田軍に攻略された松山城救援に出兵するが間に合わず、憂さ晴らしでここ騎西城を攻略。三千人の人々が犠牲になった。城主・小田家時は忍城主・成田長泰の弟で、謙信に服していた兄が北条氏に寝返ったこともあり、攻撃目標とされたか。

徳川家康の関東入封後、家康の実子・松平康重が2万石で入封。その後大久保忠常が入封するが、忠常の移封に伴い廃城。

現在は天神曲輪跡に模擬天守、福祉センターが建つが、唯一の遺構は土塁の一部のみである。本丸・二の丸などは完全に住宅及び田畑に埋没してしまい、障子堀も発掘調査の後に埋め戻されている。

上杉謙信をして「四方の沼が浅深限りなく、一段と然るべき地で、調儀叶い難し…」と書状に記させた名城も、今は何の名残もない…。

 

(【左写真】天神曲輪址地 【右写真】障子堀址地)

(建設中の模擬天守閣)

 

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