栢間陣屋

栢間陣屋(かやま★埼玉県久喜市菖蒲町下栢間、内藤氏陣屋とも)は、徳川譜代の内藤氏の陣屋跡。

内藤氏の陣屋は、栢間小学校の敷地に当たり、往時、二重の堀を構えており、江戸時代後期とみられる栢間村の絵図面からも、その立派な造りがうかがえる。
また、内藤氏の江戸初期の知行地は、現在の菖蒲町の菖蒲・新堀・小林・栢間・山箇の五ヶ所にわたって
5000石あり、幕末における菖蒲町全体の石高が約9000石であったことからも、内藤氏が菖蒲町の大半の土地を支配していたことが分かる。
この地に陣屋を置いたのは、内藤四郎左衛門正成の時(
1590年頃)である。その孫・内藤新五郎忠俊の代(1631年)に改易を受け、以後、正成の外孫にあたる内藤外記正重がその跡を継ぎ明治まで続いた。内藤氏の累代の墓石は南隣の地にある善宗寺にある(『現地説明板』)。

例によって跡地は小学校になっている。校庭には土塁の様なものもあるが遺構ではないのだろう。周囲は宅地化されて見るべきものは無さそうである。

菖蒲城跡には、この陣屋の裏門とされる物が残されている。

 

 

菖蒲城には伝・栢間陣屋の裏門が移築されている。)

 

2014年8月5日13:50頃訪問

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