御殿山城

太田道灌別館とも。江戸時代には水戸徳川家の付家老で、常陸松岡二万五千石を領していた中山備後(または備前)守の下屋敷があったと伝えられている。寛永年間(1624〜44)に三代家光がこの地で鷹狩りを行った時、仮御殿を建てたことから御殿山の名がある。戦国時代にはこの地に太田道灌が別館の塁を築いたという。

筑土八幡神社の社地とは道を隔てた西側の高台で、築土塁とは連続した舌状地に位置しており、空堀ひとつで容易に分離できることから、筑土塁と一体の城郭であったとも考えられている(『日本城郭大系』)。

城址は牛込署の裏山だが、一体は全くの住宅地で、遺構と思ぼしきものはない。

 

(JR白銀社宅付近が城郭の中心と思われる。)

 

 戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送