牛込城

標高26m、比高8mの平山城。牛込氏は、赤城山の麓上野国(群馬県)勢多郡大胡の領主大胡氏を祖とする。天文年間(1532〜55)に当主大胡重行が南関東に移り、北条氏康の家臣となり、牛込をはじめ、日比谷・堀切に所領を与えられた。

天文二十四年(1555)重行の子の勝行は、姓を牛込氏と改め、赤坂・桜田・日比谷付近も含め領有し、その頃に牛込城が築城されたといわれる。大胡氏は天正十八年(1590)北条氏滅亡後は徳川家康に従い、牛込城は廃城になったとされる。

現在の光照寺と隣接する日本出版クラブ付近が城域と推測されているが、遺構は見当たらない。

 

光照寺と城址説明看板

 

 戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送