志村城

標高20m、比高12m。300m×200mの平山城。築城年代不明。

康生二年(1456)、下総市川城を追われた千葉自胤が赤塚城に移った時、その前衛拠点として改修されたという。大永四年(1542)、北条氏綱が落城させる。

現在、本丸跡はマンションや小学校になっているが、長久三年(1042)豪族・志村将監が紀州熊野より勧請したという熊野神社が二の丸跡と伝承され、社殿脇には空堀が残存している。また、熊野神社の北側は城山公園で、急激に落ち込む崖となっており、相当な要害の地形であったことが分かる。都内にしてはわずかながらでも遺構が確認できることから、意外に満足度の高い城址である。

 

(【左写真】二の丸である熊野神社 【右写真】二の丸空堀跡で横矢になっている)

 

(【左写真】二の丸土塁跡 【右写真】城址遠望)

 

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