稲付城

標高20m、比高10mの平山城。文明年間(1469−1487)築城。

現在の静勝寺境内一帯にあたり、太田道灌が築城したといわれる。昭和六十二年(1987)、静勝寺南方面でおこなわれた発掘調査によって、永禄年間(1558−1569)末頃から天正十年(1582)頃に普請されたとみられる城の空堀が確認されたという。この付近には鎌倉時代から岩淵の宿が、室町時代には関所が設けられて街道上の主要地点をなしていた。稲付城は、その街道沿いで三方を丘陵に囲まれた土地に、江戸城川越城岩槻城を中継するための山城として築かれたとされる。道灌の死後、この城には孫の太田資高が居城し、後に後北条氏に仕える。その子・太田康資は後北条氏の家臣として岩淵郷五ヶ村を所領した。ただし、この城の戦国時代における明確な史料は現存しない(『現地城址説明板』『日本城郭大系』)。

城址はJR赤羽駅から徒歩5分弱。イトーヨーカドーの裏山で、静勝寺の参道に石碑、城址説明看板がある。遺構は確認できないが、小高い地形はいかにも要害向きである。

 

(【左写真】城址石碑 【右写真】城址である静勝寺)

(現地城址説明看板)

 

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