若神子城

 起源は分明ではないが、佐久往還の要所に築かれた山城。現在の町並みは江戸時代の宿場とし築かれたもの。

武田氏が滅亡し、織田信長が本能寺に斃れた1582年に北条氏直は無主の国甲斐・信濃への侵攻を開始する。上野から一門である氏照や氏邦を攻め入れさせ、佐久・小県地方をまず抑え、さらの小諸や諏訪なども連下とする。その状況を見て徳川家康は甲斐に入国。古府中(甲府市)に在陣していたが、後北条氏に対抗すべく新府城へ移動。一方で北条氏直はこの若神子に配し、にらみ合いとなった。80日後には和睦の道が探られ、「信濃・甲斐は家康が、上野は氏直が支配する。但し上野沼田は徳川方の真田昌幸は領する。」などの条件で両軍は兵を引いた。現在では市民の公園と化している。狼煙台が復元されているのは蛇足だが、その奥の鬱蒼とした森には主郭址の碑が立っている。また北条氏が改修した際の堀が検出保存されている。

城址は険しい断崖にあって、つづら折りのヘアピンカーブの道にある。しかし城址の案内板がなくて少々迷った。今では市民公園みたいになっていてすっかり整備されている。

  

(【左写真】本丸址 【右写真】北条氏による堀の址という。全体に残存度は低い。)

 

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