滝野川城

標高16m、比高10m。平山城。

治承四年(1180)、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝は、石橋山の合戦で破れて安房に逃れたが、鎌倉に入って幕府を樹立する。この途次、軍勢を率いて滝野川の松橋に布陣したと云われる。「松橋」とは、当時の金剛地の寺域を中心とする地名で、隣接する石神井川の流域は、両岸に岩が切り立った要害の地形であった。

その後、文明年間(1469−1487)に滝野川氏が本格的に築城したとみられる。滝野川氏は名族・豊島氏の庶家で、地名を苗字とする土豪としてこの地の開発を行った。文明九年(1477)、太田道灌と戦って滝野川氏は本家・豊島氏とともに滅亡した。

城址は北区滝野川3丁目、滝野川病院近くの金剛寺。すぐ脇を石神井川が囲繞しており、要害の地形を留めている。『日本城郭大系』には金剛寺の西側に空堀の跡が残ると記しているが、現在、それがどこに当たるのか明確でなかった。

石神井川と城址の金剛寺

 

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