横尾城

尾引城、三日城とも。標高760m、比高75m。

長野・松代と直結する地蔵街道沿いに位置し、横尾氏の本拠であった内小屋城の最終防御を担う立地である。

戦国時代、真田幸隆がこの地を領するまでの豪族であった横尾妥女正の築城。一時期、村上義清が落としたという(南原公平著『信州の城と古戦場』)。

現在見られる遺構では、秋葉神社の祭ってある本郭を中心に複数の副郭を配し、大手筋には多数の帯状の削平地を見ることができる。また、本郭の背後である尾根筋には深い堀切を三重にめぐらせて防御を強化するとともに、副郭の一部には補強用の石塁が確認でき、真田氏による改修の痕跡が顕著である。
大柏山塊の西端が分離して、横尾山塊になり、丘陵状の尾根が南方に突出している部分に要害を備え、北方に進むと曲尾の宮原神社側の斜面に出る。南側正面の腰郭は交互に段差を設けており、あたかも山全体を人工で築いたと思われるほど整っている。
曲尾城洗馬城とは指呼の関係にあり、合戦時にはそれぞれの城・砦が連絡を取り合っていた状況が手に取るように分かる。

城址は小高い山の頂上に築かれ、信綱寺からほど近く、横尾神社の裏手の山である。県道35号線(長野真田線)がすぐ脇を走り、横尾神社の裏手に登山道も整備されている。登山は10分ほどで、城址の説明看板なども設置されている。

 

(【左写真】本郭の城址碑 【右写真】本郭で奥の搦め手側には土塁もある)

 

(【左写真】搦め手の三重堀切 【右写真】三重堀切から本郭を見る)

 

(【左写真】多くの副郭が見られる 【右写真】一部には石積みがある)

 

(【左写真】登山道入口 【右写真】城址遠望)

(自作縄張り図)

(洗馬城からの眺望)

真田氏諸城配置図

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