平塚城

標高23m、比高17m。平山城。

平塚城は、源義家が後三年の役で奥州に遠征した帰路の逗留地で、義家は近義の心からの饗応に深く感謝し、使っていた鎧と守り本尊の十一面観音を下賜した。近義は義家が没した後、城の鎮護のために拝領した鎧を城内に埋め、この上に平たい塚を築き、義家兄弟の三人の木像を作り、そこに社を立てて安置したと伝えられている。これが本殿裏側の甲冑塚とも呼ばれる塚で、平塚の地名の起こりともいう。

鎌倉・室町時代の平塚城は、この地域の領主であった豊島家代々の居城となる。豊島氏と太田道灌の争いでは、最後まで持ちこたえた城であったが、文明十年(1478)一月二十五日早暁に落城し、豊島氏は滅亡した。

平塚城の場所はいくつか説があるものの、一般的にはJR京浜東北線・上中里駅の近く、現在の平塚神社付近が比定されている。

 

(平塚神社の脇は切り立った地形になっている)

 

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