洗馬城

標高800m、比高110m。築城は明確ではないが、応永七年(1400)にはこの地域を支配していた曲尾氏、横尾氏の築城と思われる。その後、戦国時代には真田氏によって改修されたのであろう。

横尾城曲尾城千古屋城とは指呼の位置にあり、「長野真田線」「傍陽菅平線」というふたつの街道が交差する傍陽地区の要衝の場所に築かれた。

曲尾城ほどの複雑な縄張りではなく、どちらかと言えば横尾城とともに改修されたと感じられる。尾根筋に堀切を配し、複数の郭と、背後には深い堀切を擁している。主要部分はさほどの面積は持っていない。また、この地域では珍しく本郭に枡形を用い、それは枡形城とこの城だけであると云われているが、現在明確な遺構としては特定できなかった。

長野・松代へ通じる地蔵街道(「長野真田線」)を扼する城郭としては最前線にあり、その重要ぶりが窺える。

城址は現在の傍陽小学校の裏山。誉田足玉神社と小学校のグランドの中間地点に登山道がある。傾斜はさほどキツくはなく、5分程度で城域を示す堀切が現れ、さらに5分程度で本郭に至る。登山道は非常にきれいに整備されている。

 

(【左写真】本郭 【右写真】二の郭)

 

(【左写真】本郭裏の大堀切 【右写真】大手道の堀切・竪堀)

 

(【左写真】本郭から真田町を望む 【右写真】城址遠望)

(自作縄張り図)

真田氏諸城配置図

 

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