先達城

享禄元年(1528)武田信虎が諏訪に侵攻した際にこの地の新五郎屋敷を城に取り立てたのが初見。

その後武田信玄の家臣である多田淡路守常昌が入城した。常昌は長篠・設楽が原の合戦で死亡しているが、以後先達城は掃い地となって鳳凰山常昌寺となった。境内の墓所には長篠の合戦場より写し取ってきたという常昌の墓碑があるという。

富士見町教育委員会によれば「遺構は特に認められない」が鹿野沢川の断崖にあり、諏訪攻略の前線基地としての城であり、また信玄時代には北信濃攻略の軍勢の中継拠点であったといわれている。

  

(【左写真】先達城址。遺構はないが中央に見えるのが常昌寺でその後方は険峻な断崖になっている。)

 (【右写真】城址の現地説明看板)

 

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