望月城

標高740m、比高80mの山城。

城址は、主郭から三の郭までが構築され、南方の支城には五の郭までが確認でき腰曲輪や帯曲輪、空堀り等が確認される(『現地説明板』)。この地の領主・望月氏は「信濃の国に隠れも無き大名」と評される名族(謡曲『望月』)で、「御牧の牧監」として、合戦に有力な馬を多く所有していた。四百年・十八代が続き、南北朝時代に望月城を築城して本拠とするものの、天文十二年(1543)に武田信玄の猛攻によって陥落している。この直前に武田軍は長窪城を落城させているが、そこの城主・大井貞隆をかくまおうとした事から、望月氏は一族切腹に処されたという。望月城はほとんど抵抗することなく落ちており、城内で裏切り者が出たとされている(『高白斎記』『信州の城と古戦場』)。

城址へは、県道166号から城光寺に進み、山門前を右に曲がると徒歩5分足らずで左側に登山道がある。そこから10分ほど登ると到着する。

         

(南原公平『信州の城と古戦場』掲載の縄張図)

 

(【左写真】本丸 【右写真】本丸にある城址碑)

 

(【左写真】本丸から二の丸を見下ろす。二の丸は本丸を巻くように配置され、広大。)

(【右写真】三の丸。この先は耕作地になっている。)

 

(【左写真】本丸南側の腰曲輪。【右写真】大手口の虎口と思われる場所には礎石があり、焼けた跡が確認できる。ただ、これが遺構なのかはハッキリしない。)

 

(【左写真】登山道入口。ここから10分ほどのそれなりの登山。【右写真】城址遠望)

 

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