春日城

標高890m、比高98m。

鎌倉時代初期より室町時代にかけての春日氏の城跡。春日氏は望月氏の同族である祢津氏から出ている。保元の乱で活躍した祢津神平の子・貞親が春日氏の祖となり、貞親の子・貞幸は承久の乱(1221)に宇治川の戦いで大功を立てて全盛期を迎えた。永正三年(1515)には望月氏により滅ぼされ、その後は望月氏系春日氏の居城となった。戦国時代には甲州・武田氏に従った芦田城主・芦田(依田)氏の持ち城となり、天正十年(1582)城主・依田信蕃は小田原北条氏の攻撃を受けたが、身をもって逃れ、後に佐久を平定した(『望月町教育委員会・現地説明板』)

城址は、県道151号の春日小学校前の信号を春日温泉方向に曲がり、「堀端」バス停付近に説明看板があって、その裏の墓地から登山道が走っている。途中10分ほど登ると、秋葉神社のある出郭と思われる遺構に至り、郭、土塁、堀切が確認できる。さらに登っていくと主郭があると云われるが今回は未踏査。

 

(【左写真】山腹にある出郭で荒廃した秋葉社がある。【右写真】出郭の虎口で土塁と堀切がある。)

 

(【左写真】その堀切は竪堀へと続く。【右写真】山麓の説明板)

 (城址遠望)

 

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