中城館

依田川西岸の段丘上にあるこの館跡は、飯沼氏の居館跡であったと言われている。治承四年(1180)木曽義仲を依田城に迎え入れた依田氏は、自らは砂原峠沿いにある高築地館に移ったと伝えられている。義仲滅亡後、依田氏は依田姓を名乗らず、飯沼氏を名乗って中城に移り住んだ。中城北方の田んぼ中(丸子北中学校裏手)には、竹の花五輪塔と呼ばれる立派な供養塔が残されている(『丸子町・現地説明板』)。

館跡は丸子北小学校から西側の住宅街の一角にある。尾野山城笹谷城がすぐ背後にあり、南方を丸子城、依田城が固める要衝の場所で、依田川沿いの中世屋敷の典型的な立地を示す。遺構は明確ではないものの、堀や郭の跡らしき地形が耕作地として確認できる。

 

(【左写真】中城館跡地。車のところに説明板がある。【右写真】周囲には空堀らしき地形もある。)

 

(【左写真】現地説明板【右写真】丸子北中学校裏手の「竹の花五輪塔」

 

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送