吉澤城

標高781m、比高247m。

今から400〜500年前の戦国時代、塩田城の支城として吉澤民部という部将がいた。東西23m、南北8m程の郭がふたつあったという。近くに、いくつもの曲輪、堀切の跡や、武者揃、櫓立場という地名が残っている。土留めの石塁も見られる(『東塩田小学校・現地説明板』)。

有名な塩田城の東側を防御する山城。ふたつの郭が確認でき、その間は堀切を配していたようである。石積みも確認できる貴重な中世城郭であるが、規模は小さく、物見や狼煙台に使われたものであろう。尾根の地形を利用した単純な造りで、武田信玄が村上義清を駆逐した塩田支配期の改修の可能性はあるものの、真田氏統治時代には大幅な手は加えられなかったと感じる。

城址へは、来光寺池近く、古安曽地区県道82号に「塩田野パノラマライン」への案内板があって、それに従って林道を登っていくと安曽岡山への登山道がある。安曽岡山から北側に突き出た独立峰に位置し、そこから20分ほどの登山だが、急登が続き、なかなかキツい。

 

(【左写真】主郭。土塁などは見られない。【右写真】主郭の前後は堀切がある

 

(【左写真】主郭には石積みがある。【右写真】古い形状で、貴重な遺構だろう。)

 

(【左写真】副郭。ここは見晴らしが利く。【右写真】山腹にもいくつか段郭が確認できる。)

 

(【左写真】現地説明板。「見晴台」に設置されている。【右写真】自作縄張図)

 

(【左写真】見晴台から塩田平を望む。正面に上田原。奥の山は虚空蔵山城。【右写真】手前の頂上が城址。奥は安曽岡山。

(登山経路図・国土地理院発行の20万の1地形図)

 

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