女神岳城

標高926m、比高276m。女神山城とも。

史料には出てこない城らしく、歴史面は一切不明である。ただ、鎌倉時代に勢力を誇った塩田北条氏の本拠・塩田城に近接していることから、40あったと伝わる支城のひとつとして、この時代に築城されたと思われる。その後の経緯は不明だが、遺構から考察するに真田昌幸が最終的に改修したようである。天正十一年(1583)頃に塩田城は廃されたが、女神岳城は、上田から松本への最短ルートである保福寺峠、三才山峠の喉もとに位置する要衝で、その後も真田氏によって使用されたのであろう。

城址は、険しい女神岳の頂上にあり、規模はさほど大きくないものの縄張りは比較的高度である。多用される石積みに連続堀切や大手口など見所は豊富。

城址へは、別所温泉から県道177号に入り、「夫婦道祖神」方面に進むと、県道沿いに女神岳登山道の案内がある。これは穴平地区からの登山道で、非常に急傾斜の直線を一気に登らされる。20分ほど休みなく登ると山頂の神社跡地に到着。そこから3分ほど歩くと城址。なお、神社跡地も平場で、城域と思われるが、遺構は破壊・消滅している。

 

(【左写真】主郭。丸形で15m×15mほど。【右写真】主郭下の帯郭。)

 

(【左写真】主郭の背後には大堀切が二重にある。10m以上の高低差。【右写真】主郭は石積みが全周している。)

 

(【左写真】副郭から見た主郭。石積みが確認できる。【右写真】副郭の土塁と右側の虎口。)

 

(【左写真】副郭の北側には大手門と思われる遺構がある。二段折れになっており、石積みが用いられている。)

(【右写真】大手虎口を入ると帯郭もしくは副郭に通じ、そこから主郭に至る。ただ、虎口部分を除いて、山麓までの大手道は消滅してしまったようである。)

 

(【左写真】尾根筋には四重堀切がハッキリと確認できる。【右写真】その先には長方形の削平地がある。)

 

(【左写真】神社跡。後年改変されたようだが、ここも郭だったのだろう。【右写真】山麓の登山道入口。キツい直登が続く。神社を建設した際に整備されたらしく、戦国時代には無かった道と思われる。)

 

(【左写真】登山道入口。車は2台ほど停車できる。【右写真】塩田平から見た女神岳。奥の頂上が城址。)

(女神岳遠望)

(登山経路図・国土地理院発行の20万の1地形図)

 

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