西山城

標高870m、比高190m。

この城の歴史と城主は明確になっていない。城主は一説に矢口筑前とされ(『信府統記』)、また矢口知光ともいう(『三宮穂高社御造宮定日記』)が確証はない。伝承によれば、この村名である西山氏と称する氏人が築城し、その後矢口氏が継承したと伝わる。矢口氏は、南安曇地方に栄えた大伴氏の系統で、仁科氏滅亡後、近郷各地に敗転したとされている(『信州の山城』)。いずれにせよ、仁科氏直轄地の入口を守る城として機能していたものである。

城はふたつの遺構群からなっている。城山の頂上部の遺構が「本城」で、三つの尾根が集まるところに曲輪と帯曲輪を配し、空堀や放射状の竪堀を組み合わせた連郭式。戦国時代・仁科氏が武田氏に降った天文十九年(1550)頃か、信玄の五男・晴清(後の仁科信盛)が仁科氏を継承した天正初め頃の改修とみられる(篠崎健一郎氏による)。「二の曲輪」は比高90mほどで、戦国時代以前に築かれており、その後「本城」の改修に伴って要害化されたものと考えられる。「二の曲輪」に見られる二重堀切は非常に深く見ごたえ十分である。また、尾根上に堀切と土塁を組み合わせた設備が見られ遺構としての価値は高い。なお「二の曲輪」から「本城」までの城域は1.6キロにも及ぶ。

城址へは県道306号(有明大町線)沿い、乳川に架かる壇行橋の脇にあり、大きな看板があって迷わない。登山は「二の曲輪」まで急傾斜15分、そこから緩やかな尾根道を15分で「本城」へ。

(大町方面からの城山遠望)

二の曲輪

 (「二の曲輪」の縄張図。信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センターより)

 

(【左写真】「二の曲輪」主郭。土塁の向こうに二重堀切。【右写真】主郭の井戸跡で、円形の窪地が残る。)

 

(【左写真】二重堀切の一条目。主郭とは15m以上の高低差。【右写真】さらのこの堀切で二重となす。)

 

 (【左写真】尾根筋に見られる複数の堀切は土塁で高低差を高めているものがある。)

(【右写真】尾根の先端部にある削平地。現地案内では「三の曲輪」としている。)

本城

 (「本城」の縄張図。上が搦め手、右が大手。信濃史学会編『信州の山城』信毎書籍出版センターより)

 

 (【左写真】「本城」の主郭部。神社が祭ってある。【右写真】搦め手にもいくつかの空堀がある。)

 

 (【左写真】搦め手から見た主郭。【右写真】帯曲輪で、主郭とは切岸で区画。)

 

 (【左写真】本城から見た西山集落。【右写真】登山道入口)

(現地案内板)

 

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