矢倉城

標高727m、比高117m。

この城に関する資料は入手できなかったので詳細は不明。立地的には青柳城の尾根先端にあることから、その支城であろう。麻績城とは指呼の位置にあり、武田信玄の川中島進出の際に改修されたものか。遺構からして、その後の小笠原貞慶時代には廃城になっていたと感じられる。

単純な連郭式の山城で、簡単な堀切、帯曲輪を配しただけの古い形状である。主郭、二の郭の面積は大きいものの、後年、秋葉社が建設されたらしく、改変を受けた可能性は否定できない。

城址へは国道403号、麻績消防署の近く、「叶里」バス停付近を四阿屋山へ曲がる。矢倉橋を渡り、諏訪神社と善導寺の間を室沢川沿いに進んで行き、長野自動車道の橋脚を抜けるとすぐ右手に案内棒が立っている。そこから登山は10分強で整備はよくされている。

 (自作縄張図)

 

 (【左写真】主郭の城址碑 【右写真】主郭。兵の駐屯にも適した面積。)

 

  (【左写真】主郭搦め手には一段高い地形がある。【右写真】二の郭から主郭を見る。簡単な空堀と切岸で区画。)

 

  (【左写真】搦め手の堀切だが相当に埋まっている。【右写真】登山道入口)

 (城址遠望。頂上部に主郭あり。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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