生仁館

日吉神社の南方350mの五十里川と生仁川の合流点の南にある。現在は住宅地となって面影はないが、館はもともと南北90m、東西120で、一重の堀を設け、その幅は11mであったという(『長野県町村誌』)。この堀は現在は田用水路となっており、唯一館跡を示すものとして「菅神の小祠」が畑の中に残っているという(『信州の山城』)。

この館の主は、雨宮城主の雨宮氏、生仁氏である。雨宮氏は古く至徳四年(1387)頃から林立する豪族・村上氏、小笠原氏、高梨氏らと戦いを繰り広げたという史料が残っており、応永七年(1400)の大塔合戦にも参戦している。永享十二年(1440)を最後にその名を消しており、以後両氏は鞍骨城主・清野氏に滅ぼされたのではないかとされている(『信州の山城』)。

館跡は雨宮城の山麓に位置し、近く日吉神社がある。一帯が住宅地で遺構はなく、上記「菅神の小祠」がどこにあるのかも分からなかった。

 

(【左写真】周辺は住宅地化し遺構はない。【右写真】日吉神社

  

 

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