二ツ柳城

標高410m、比高50m。

この城の所見は応永七年(1400)の大塔合戦の際に見え、小笠原軍に属した市河六郎頼重が「二柳城に於いて戦功をつくし、疵を被りおわんぬ」(『市河文書』)と伝わっている。

柳沢の尾根の舌状地形を利用して長さ34m、幅28mの削平地を作り、脇を流れる「こがに沢」を堀の役割としている。城域は江戸時代に諏訪神社が建設され、多少の変形を受けているが、室町・戦国時代に改修された形跡はなく、ほとんど原形を保っているという(『信州の山城』)。

城址は篠ノ井二ツ柳地区の二ツ柳神社(篠ノ井西小学校の西400m)に比定されている。明確な遺構は見られず城郭跡と断定するには躊躇するが、古い時代の城とはこういったものなのだろう。

 

(【左写真】二ツ柳神社 【右写真】社殿の裏には一段高い削平地なども見られる。

 

 (【左写真】空堀に利用されたという天然の「こがに沢」。最大15mの高低差を有する。【右写真】城址遠望。

 

 

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