小坂城
標高640m、比高200m。 建武二年(1335)七月の船山の乱は、官軍・小笠原貞宗の勝利となり、塩崎、桑原は小笠原氏の所領となる。塩崎城の赤沢氏は村上氏に対抗するため、土豪・桑原氏を以て家老とし、別に小坂に築城して居らしめた。陣ヶ窪番城址は小坂城の外廊である。天文二二年(1553)の合戦後、本郡地方が武田氏のものとなると、小笠原氏に備えて家臣・保科弾正義昌がこの城にあって管轄した。天正十年(1582)七月武田氏滅亡後、上杉景勝が大挙して本郡に進攻すると、保科氏は降伏し、この城は上杉氏のものとなる。 小坂城は篠山東南の支脈、東側竜川、西側地獄沢に挟まれた稜線上にあり本丸は周囲141m、長軸46m、短軸29mの稍長方形である。戦後に耕起されたため原形の明瞭を欠くが、山城としては珍しく広大である。水源は西方の蟹沢で、本丸の南面、西面には幾条かの郭があり、当時の石垣も残存し、数多くの掘割によって仕切られている(『桑原振興会・現地説明板』)。 遺構として主郭から大手道へ複数の帯郭・段郭があり、主郭背後は深い堀切を配し、その上段にも複数の曲輪を用いた規模の大きい山城である。一部に残る石垣は上杉氏時代の改修と思われるが、縄張り自体はさほど高度ではなく、基本的に武田系城郭と考えられる。 城址は塩崎城・赤沢城と隣接し、長野自動車道の「稲荷山トンネル」が貫く小坂山の先端峰に位置する。登山道は龍洞院(約20分)からあり、また蟹沢(約15分)からも訪問できる。いずれも周辺道路に案内板が立っている。 |
(現地縄張図)
(【左写真】主郭の城址碑 【右写真】主郭。夏場は下草と蜘蛛の巣がひどい。)
(主郭背後の大堀切。高低差15mほどか。)
(【左写真】さらに小郭が連続する。【右写真】小郭の間にも堀切が確認できる。)
(主郭は石垣が囲んでいたらしく、今でも一部にその名残がある。)
(城址遠望)
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