亀之甲山陣城

標高32m、比高20m。室町時代、太田道灌の築城。

小机城の東北1.5キロに位置し、小机城とは鶴見川を挟んで相対している。

起源は、文明九年(1477)長尾景春の乱の時で、太田道灌の手によって築かれたものとされている。山内上杉氏の家宰・長尾景信が歿すると、執事職の相続めぐって関東管領・山内上杉顕定と景信の子・景春の争いが発生した。小机城には景春側の矢野兵庫助らが立て篭もったが、顕定側についた太田道灌はその攻撃にあたって亀之甲山に陣城を取り立てた。文明十年(1478)二月から四月まで、ここを拠点に小机城を攻め立て、ついに落としたという(『太田道灌状』『日本城郭大系』)。

鶴見川に架かる「亀の甲橋」付近の丘陵が跡地とされる。ここからは小机城が指呼の間に見て取れるが、現在は資生堂研究所となって、すべて消滅している。

 

(【左写真】亀の甲橋から城址を遠望。【右写真】跡地。遺構は完全に消滅したようである。)

(国土地理院発行の2万5千分1地形図

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送