矢上城

標高37m、比高25m。戦国時代、後北条氏家臣で小机衆・中田加賀守の居館。

横浜市港北区日吉の慶応義塾大学の敷地東部に「宮ノ台」と呼ばれる台地があり、ここに居住していた(『新編武蔵国風土記稿』)。かつては堀切と中田氏先祖の塚があったというが、現在遺構と認めるまでのものは確認できない。

中田加賀守は、天正十八年(1590)小田原落城の際に討ち死にしたとも伝わっている。

跡地は、東海道新幹線が貫く「日吉トンネル」の上で、野球場、運動場となっている。北側の麓には子孫が建てた「中田加賀守累代墓之地」碑があり隣接する保福寺は、中田加賀守の開基といわれている。

 

(【左写真】跡地の遠望 【右写真】中田加賀守累代墓之地碑。麓の新幹線トンネル付近にある。

(中田加賀守の開基「保福寺」)

 

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送