丸子城

丸子陣屋とも。

文明十年(1478)正月二十五日、扇谷上杉氏の家老・太田道灌が出馬して、敵方・豊島左衛門泰経の守る平塚城を攻撃し、ほどなく落城させたが、敵はなおも小机城や丸子城に立て籠もったという(『鎌倉大草紙』)。

城主は不明だが、一説に成氏(古河公方)とされる。しかし江戸時代末期にはすでに遺構もなく、正確な場所も不明となった(『新編武蔵国風土記稿』)。

一応の位置は、日枝神社から丸子小学校あたりと推定されているが、現在では北に多摩川を控える平坦部であって、特に要害ぶりは窺えない(『日本城郭大系』)。

(日枝神社)

(日枝神社の説明板。戦国時代の古文書が伝わっているという。)

 

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送