赤山陣屋

赤山陣屋(赤山城★★★埼玉県川口市赤山)

寛永六年(1629)に関東郡代・伊奈忠次の次男・忠治が鴻巣小室から赤山の地に移り、在地支配・開発事業の拠点として築いた。

寛政四年(1792)に伊奈家が改易になるまで160年間にわたり関東郡代の陣屋として機能した。

往時の陣域は広大で内堀(空堀)と外堀(自然湿地の水堀)に囲まれていたが、現在は本丸跡(雑木林)を囲む空堀と陣域にあった社寺(山王神社)を残す。
しかし、空堀はよく整備されており、現在は深さ
1.5mほどであるが、当時は6mの深さであった

 

 

(【左写真】城跡入口の石碑。【右写真】入ってすぐにある日枝神社。この盛り土は、空堀の土を利用したものという。)

 

 

(【左写真】東堀。【右写真】「曲輪」との地名が残る場所。家臣の屋敷跡だという。)

 

(【左写真】南堀。復元だろうか。【右写真】西堀。)

 

(【左写真】南西堀の折れの部分。【右写真】二の丸跡。遺構は無さそうだ。)

 

(【左写真】北西堀。原形に近いのだろうか。右手に外環道路が見える。【右写真】北堀。)

 

(【左写真】御陣山稲荷。【右写真】御陣山稲荷近くの北堀。なかなか深くよく残っている。)

 

(本丸跡。遺構は無さそうだ。)

 

(【左写真】裏門があったとされる場所。【右写真】表御門があったとされる場所。)

(出丸とされる地域。外環道路の向こう側になる。)

 

2014.9.15再訪

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(現地縄張図)

 

(【左写真】本丸跡(雑木林) 【右写真】本丸北堀)

 

(【左写真】本丸西堀 【右写真】本丸東堀)

 

(【左写真】本丸南東堀 【右写真】本丸北東堀)

 

(【左写真】二の丸跡 【右写真】大手口にある城址碑)

 

(【左写真】山王神社 【右写真】現地案内図)

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