青ヶ台城山

金沢城とも。標高56m、比高53m。鎌倉北条氏の一門・金沢貞顕の居所と推定される。

城山は、深い谷を挟んで、東と西の二箇所あり、かつて山頂は平坦地で、いかにも城塁を構えた地形であったという(『新編武蔵国風土記稿』)。

金沢貞顕は、鎌倉時代末期の武士で、六波羅探題・連署として、病弱であった執権・北条高時を支えた。その後、十五代執権に就任するが、政争の激化により辞任、幕府の滅亡とともにその人生を終えた(永井晋人物叢書 金沢貞顕』)

現在、東側の城山は地名も失っているが、かろうじて西側には「青ヶ台(あおがだい)」の地名が残り、跡地には「阿王ヶ台(あおがだい)団地」が立ち並んでいる。しかし、すでに宅地化で一帯は削平され、遺構は何ら残っていない。

阿王ヶ台団地

 

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