鎌倉城

鎌倉時代、源頼朝の築城。彼が鎌倉に幕府を開いたのは、源氏ゆかりの地であり、三方を馬蹄形の連丘に囲まれた理想的な都城の地形であったことによる。鎌倉城の範囲は広大で、稲村ヶ崎から飯島崎までに連なる丘陵に囲まれ、南は相模湾に面している。また、七ヶ所の切通しを作って出入口とし、防御度を増させている。

鎌倉城での戦いは3回あり、正慶二年(1333)新田義貞によって攻められ、北条高時以下は自刃して幕府は滅亡している。建武(1337)北畠顕家らが攻め込み、杉本城とともに落城。最後は、文和元年(1351)新田義興らが初代鎌倉公方・足利基氏を攻め込み、落城している。

以上の合戦ではいずれも守備側の敗北に終わり、その後、南北朝時代に至ると要害性が失われ、鎌倉城をめぐる攻防戦は行われなくなった(『日本城郭大系』)。

永禄四年(1561)長尾景虎が、上杉憲政から、鶴岡八幡宮にて上杉姓と関東管領職を譲られたのは有名な話である。

 

(【左写真】鶴岡八幡宮 【右写真】養和二年(1182)源頼朝が専光坊や大庭景義らに掘らせたという「源平池」。)

 

(【左写真】建長四年(1252)頃に製造された高徳院の大仏。【右写真】釈迦堂切通。この上には「やぐら群」があったという。)

 

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送