小沢城

標高119m、比高60m。

小沢城は中津原台地の東北隅突端の地形を利用し要害した山城で、室町時代初期の築城と伝わる。城域は570平方メートルほどの面積をもっていた。

城主は金子掃部助で、山ノ内上杉氏に従っていた。長尾景伴に連なる長尾景春の家臣であったゆえに、文明九年(1477)一月、扇谷上杉氏の執権・太田道灌によって攻撃され、地四月十八日落城。掃部助は戦死した。

いま、遺構として城址の南辺に壕跡をとどめるほか、城坂、城の内、馬つくり場などの地名がある。また城主一族の落城悲話が伝説として残っている(『現地説明板』)。

遺構は明確ではないが、要害の地形に築かれたことは窺い知れる。相模川に架かる高田橋の東、511号から63号に入り、坂道を登る途中、右手に説明板があり、細い道を登り切ると城址。

 

(【左写真】主郭跡。耕作地となって遺構は明確でない。【右写真】空堀跡。堀底道でもある。)

 

(【左写真】鬼門にある第六天社。出郭でもあったのだろう。【右写真】遠望。切り立った断崖に囲まれ、要害の地形。)

(現地説明板)

 

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