愛甲城

横山一党の愛甲氏の本拠。

愛甲氏が本格的に歴史に名を挙げるのは、愛甲季隆からで、彼は鎌倉幕府でも弓の腕前は随一だったといい、寿永-建暦年間(1180-1210)幕府の調度係に命じられていた。その後、北条氏の横暴な政治に和田義盛が叛旗を翻すと、愛甲一族はそれに加担。北条氏との合戦に及び、建保元年(1213)五月、大敗を喫して滅亡した。

その後、愛甲城がどうなったかは不明だが、戦国時代には支砦が置かれたものと推察されている(西ヶ谷恭弘『神奈川の城』上巻)。

城址は円光寺の裏手で、削平地、土塁らしき地形も見られるが、遺構と断ずるものではない。

 

(【左写真】円光寺 【右写真】城址からの風景。寺の背後は墓地になっているが、多少遺構らしき地形もある。)

(城址は小田急線が貫通・分断している。)

 

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