七沢城

標高100m、比高18m。

創築は明らかではないが、糟屋館にあった扇谷上杉氏の戦闘拠点として室町時代初期に築かれたものとされる。初見は、宝徳二年(1450)、鎌倉で足利成氏を長尾氏、太田氏が攻めた折、管領・山内上杉憲忠が七沢城に逃れたというもの(『鎌倉大草紙』)。これは一族の扇谷上杉氏を頼って落ちたもので、扇谷上杉氏家臣・太田道灌の築城説もみられる(『神奈川の城』)。

その後、太田道灌が暗殺されると、扇谷・山内一族の骨肉の争いが激化、長享二年(1488)二月、七沢城の南で合戦に及んでいる。七沢城主は扇谷朝昌で、七沢衆と呼ばれる精鋭200騎で堅く守り、山内顕定軍を挟撃して破っている。軍勢に劣っていた扇谷定正(七沢城主・扇谷朝昌の兄弟)は、「不思議の至り、この事に候」と奇跡的な勝利であったと述べている(『上杉定正状』)。

しかし戦国時代、北条早雲が現れると扇谷氏は追放され、小田原城の支城として渡辺五郎左衛門が城代に置かれている(『神奈川の城』)。

かつては遺構が良好に残されていたというが、老人ホーム・病院が建築され、わずかな地名を残して消滅してしまった。

(城址はまったく姿を消してしまった。)

 

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