左入城

標高170m、比高30m。

左入(さにゅう)城の詳しい記録は無い。滝山城の出城として築かれたと推察され、西山十右衛門という者が城主であったという伝承が残る。

永禄十二年(1569)武田信玄の滝山城攻撃では、拝島に本陣が置かれ、総大将の武田勝頼は尾崎山(現在の中央道・八王子IC付近が比定地)に陣城を築いている。左入城と尾崎山は約1.5キロしか離れてなく、滝山城の前哨戦として攻め落とされたともいわれる(『多摩の古城址』)。

城址の場所は確かとなっていないが、滝山丘陵の東端の台地先端とされる。現在、すっかり開発の波に呑まれ、城域すら分からないが、位置取りからして「北原リハビリテーション病院」付近が街道を扼し、築城向き。

 (「左入町交差点」からの城址遠望)

 

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送