別所城

安達義景別荘、鶴見別荘とも。

仁治二年(1241)十一月四日、将軍・藤原頼経は、鶴見にあった安達義景の別荘に出掛けている(『吾妻鏡』)。安達義景は鎌倉幕府の評定衆で、同氏は元久二年(1205)頃にはすでに鶴見の地と関連をもっていたと考えられている(『日本城郭大系』)。

別荘の場所は定かでないが、鶴見町の別所だと比定される。

別所は、寺尾丘陵の東端に位置し、そこには熊野神社が祀ってある。周囲を望む、いかにも築城に適した地形を有し、城郭らしき構造も見られる。あるいは、別荘がその後、城塞に転用されたのかも知れない。

 

(【左写真】熊野神社 【右写真】一段、腰曲輪のような地形があるものの遺構かは不明。)

(神社背後の道は空堀の名残りか?)

 

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