勝山城

 『日本城郭大系』(8長野・山梨)によれば「地形上からは要害の地とはいい難いが、構造は大変複雑で堅固な様相をみせている」。甲斐源氏一門の油川氏の居城という。1516年には今川氏が甲斐国に乱入。勝山城を攻撃奪取し、国内を焼き払った。信虎は逆に小山田氏の援軍を得て今川氏を勝山城に追いつめる。50余日の交渉の結果和睦に帰したという。1521年にも再び今川氏は甲斐に侵攻し、福島正成ら駿河衆は勝山城を占拠した。

1582年の徳川・今川の甲斐争奪戦では徳川氏が入城して改築し、伊賀衆を率いて服部半蔵が守りを固めたという。前著には「意外に旧状が残り、大略を探ることが可能である」とされるが、ただの畑山と化して、看板などもなく、ここが本当に城であったのかと見まがうほどだった。

 

(前方の丘になっている所が城址。しかし畑で中に入るのも躊躇してしまう。)

 

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