観音堂砦
観音堂砦(★神奈川県横浜市神奈川区幸ケ谷) 神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷の宗興寺がある微高地は、戦国時代、間宮四郎左衛門が砦を築いた場所だという(『北条記』)。 権現山城の東方約250mに位置することから、その出砦とも思われる(『日本城郭大系』)。宗興寺は宝徳年間(室町時代)創建。横浜開港当時(1859)ヘボン博士が診療所を置いた場所して有名である。 |
(【左写真】宗興寺。遺構は無い。背後は丘になっているが要害性は不明。【右写真】同地の古風景画。)
ヘボン博士は、アメリカ人医学研究家。安政六年(1859)来日すると宗興寺の地で日本人の治療にあたった。日本語の研究も進め、慶応三年(1867)本邦初の英和辞書『和英語林集成』を上梓する。同書で使用した日本語のローマ字表記は「ヘボン式」と呼ばれ、現在国際標準となっている。その後、明治学院大学の創立に尽力、初代学長に就任している。明治四十四年(1911)96年の天寿をまっとうする(『現地説明板』『明治学院大学ホームページ』)。 ヘボン式ローマ字表記法一例 ・短声は子音を重ねて表記。 合戦 GASSEN ・撥音、B、M、Pでの「ん」はMで表記。 新橋 SHIMBASHI、本間 HOMMA ・単音と長音の区別なく表記。 東京 TOKYO、大阪 OSAKA、京都 KYOTO |
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