三輪城

標高72m、比高40m。沢山城、城山とも。

近年まで、城郭研究家を含めて、その存在すら知られていなかった謎の城(『多摩地方の中世城郭』)であり、歴史面は不明である。

遺構は比較的良好に残り、大きく分けて三つの郭から構成され、北側の郭は長方形100m×50m、南の郭は二つ並び、間には空堀が設けてある(『日本城郭大系』)。またその北下側にも広大な郭と、周辺には段郭も見られる。

構造から戦国時代の改修と思われ、大庭城勝沼城小机城などとともに後北条氏の城郭とされる。

なお、欠年文書として、「当郷の馬をことごとく三輪に集めよ。筑前手代の指示に従って、城米を小田原古城に運送するように」という北条氏照の命令が発せられており(『吉川氏文書』)、これは三輪城の備蓄米の運搬指令とされている。

「七面堂」と呼ばれる最高地(物見台か)を中心に、空堀に囲まれた郭が見られる。それほど明確とは言えないが、遺構は良く残っている。所有者の好意によって見学することができるが、くれぐれもマナーには注意したい。

 

 (【左写真】七面堂。面積はなく、櫓台だったか。【右写真】土塁らしきものもある。)

 

 (【左写真】北郭。櫓台を巻いており、主郭と思われる。【右写真】北東側には段郭もある。)

 

  (【左写真】北郭と南郭と間の空堀跡。【右写真】空堀は若干クランク状になっておりやや高度な構造。)

 

  (【左写真】南郭。登山道が分断している(遺構かも知れない)。【右写真】北下側の空堀もクランク形。)

 

  (【左写真】北下郭は相当に広大で根小屋か。後年の改変の可能性もある。【右写真】城址遠望。)

 

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