今井砦

標高65m、比高20m。

神奈川県横浜市保土ヶ谷区今井町の「金剛寺」の裏山、「城山稲荷」のある平坦部一帯を地元では「城あと」と呼んでいる。

今井四郎兼平という人物が居住した場所と伝わり、太刀の金具や小皿が出土したという。また、嘉元二年(1304)五月の彫り込みのある板碑も出た(『新編武蔵国風土記稿』)。昭和初期には、稲荷付近から永楽銭などの古銭が多数入った壷が出土した((『現地石碑』)。永楽銭は後北条氏の通用貨幣であったことから戦国時代にも城塞として利用されていたと考えられる。一説に、伊豆を所領していた清水氏が城主となり、歴代領主小笠原氏、谷氏、小幡氏に仕えたとされる(『神奈川の城』)。

城址は、城山稲荷一帯東西15m、南北20mほどの広さで、緩斜面となって北側には長さ10m、幅5m、深さ2mの堀切がある。砦の西麓には鎌倉街道が走っており、その押さえ・監視の役割をもっていたようである(『日本城郭大系』)。

城山稲荷には城址石碑があり、背後の尾根が跡地とされる。「堀切」とされる奥にも郭らしき地形が見られるが、明確ではない。「金剛寺バス停」付近に入口がある。

 

 (【左写真】「城山稲荷」【右写真】立派な城址石碑が設置されている。)

 

  (【左写真】城址と思われる平場。尾根上の狭い地形。【右写真】「堀切」とされる場所。)

 

  (【左写真】北側にも郭らしき地形を認める。【右写真】大きな窪地があるが遺構ではなさそう。)

 

  (【左写真】現地出土の嘉元二年(1304)五月の板碑 【右写真】城址入口)

 

  (【左写真】金剛寺(左側)と城山遠望 【右写真】城山の頂上部。籔で全く入れない。)

 

戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送