上原城

 諏訪氏の本拠であった上原城は諏訪盆地を一望する金毘羅山頂(標高978m)に位置する。遺構としては主郭、土塁、二の郭、三の郭、曲輪、空掘、物見石等があり、上原城の中腹の小字板垣平(およそ1ha)には居館跡がある。

武田信玄の初の信濃侵攻で20000の兵の目的地になった城。天文11年(1542)、城主の諏訪頼重は武田信玄の攻撃を受ける。謀略工作によって予め諏訪氏と対立関係にあった豪族らを味方に引き入れていた信玄であったが、諏訪頼重の妻の兄である信玄が攻めて来るとは諏訪勢の誰も考えず、これといった準備もしないまま、通報があってから4日も時間を空費し、信玄に布陣された時には既に遅く、上原城にはわずかの兵しか蝟集しなかった為、頼重は戦わずして逃亡した。この時の諏訪衆はわずか1000足らずの兵であったという。頼重はここで切腹しようとしたが家臣に諌められ、自ら火を放ったあとに退去したともいう。

諏訪氏滅亡後に信玄はその重臣・板垣信方を入城させ、信濃地方攻略の拠点とした。山腹には信方の館址である板垣平、城址には物見岩や土塁が確認できる。本丸近くまで車道が走っているが、当時はかなりの険しい山城であったのは間違いあるまい。

 

(【左写真】山中の板垣平。今はただの畑に変わっており、城主・板垣信方の館があったのをしのぶ事はできない。【右写真】本郭址。規模は大きくはない。)

(二の郭跡。物見に使われたという巨岩がある。)

 

 

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