桑原城

 高鳥屋(たかとや)城、水晶城、矢竹城とも。諏訪惣領家の本拠上原城の支城として要害を誇った山城。甲州街道から約200メートル北に位置し、本郭は空濠より高さ6メートル、東西33メートル、南北25メートル、面積はおよそ600平方メートルあり、空濠を隔てて西側の二の郭に続く。

天文11(1542)年7月4日、武田信玄に上原城を追われた諏訪頼重は峰つづきのここ桑原城に逃れた。

頼重はその夜、風雨のなか明日の戦いの為に武田軍の偵察に出た。しかし、これを主君の脱走であると勘違いした城兵はみな逃亡してしまった。それらの兵士の中には頼重がまだ城内にいると知り、とって返して城に向かったが、既に武田軍の包囲網が厳しく近寄る事もできなかったという。翌日、敵軍に包囲されて討って出ようとした頼重であったが、「城を渡せば引き揚げる」という和議によって頼重は信玄に降伏。その身柄は甲府に送られて、弟の頼高とともに、板垣の寺で27歳をその一期として自刃させられた。

伝・頼重の辞世の句「 おのずから 枯れ果てにけり 草の葉の 主あらばこそ またもむすばめ」

 

(中央に見えるのが城址。)

 

 

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