松本城

もとは深志城が起源。

戦国時代慶長二年(1597)完成の天守閣が現存する城。松本平の中心で国府が置かれていたところ。

城の起源は深志(松本)地方を支配していた守護小笠原氏が本拠の林城を囲む支城のひとつとして建てた居館という。
塩尻・勝弦峠の合戦で武田信玄に大敗した小笠原長時は林城に逃れ、のちに武田氏に降った際に、山城であった林城を廃し、信玄がその居館を拡張させたのが本格的な城郭としての始まり。

駒井高白斎が鍬立てをし(『高白斎記』)、馬場信房を城代に入れる時期もあり、長篠・設楽ヶ原の合戦で信房が討ち死したあとはその一門の信春も入城し、武田勝頼新府城を焼いて引き退くまでその統治をした。

その後、徳川氏の石川数正が入り大幅に改修、現在の松本市の基礎を築いた。現存する天守は現在国宝に指定されている。撮影日(2006.9.26)は残念ながら月見櫓が工事中であった。

(周囲案内図)

(本丸付近古図)

 

(【左写真】本丸へ渡る埋橋。【右写真】現在の本丸虎口。料金所がある。)

 

(【左写真】本丸の周囲を囲む土塁。【右写真】土塁から見た本丸水堀。)

 

(【左写真】「清正公駒つなぎ桜」。江戸帰りの加藤清正に贈呈した名馬をつないだ桜という伝説がある。【右写真】本丸御殿跡。)

(国宝・松本城天守閣。左が小天守で、右が大天守。)

 

(【左写真】本丸御殿付近から天守閣を見上げる。【右写真】天守閣の入口。小天守からの見学になる。)

 

(「鉄砲狭間」。ここから鉄砲を撃てたといい、弓矢用の狭間もある。)

 

(【左写真】小天守の階段も急で狭い。【右写真】小天守2階には暗い小部屋がある。物置だったものか。)

 

(【左写真】小天守の「花頭窓」。中国伝来で寺院から転用されたという。【右写真】「桔木構造」の天井。重い屋根を支えるためにテコの原理を応用している。)

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