跡部屋敷

武田信玄の旧臣・跡部氏(武田勝頼に仕えた跡部勝資は奸臣として有名)は、天正十年(1582)武田氏滅亡後、徳川家康に仕えて大番となり、天正十八年、関東入国ののち、愛甲郡で百五十石を得た。この頃の当主は跡部正次といわれ、慶長五年(1600)関ヶ原合戦に供奉している(『日本城郭大系』)

その屋敷跡地は、村の北にあり、江戸時代末期には三段の郭と土塁跡が残っていたという(『新編相模国風土記稿』)が、現在確認できない。

愛名地区の北端部、字北谷南部の比高20mの丘陵上に諏訪神社があり、これは跡部氏が勧請したものと伝わっていることから、付近を跡地とする説が有力である(『厚木歴史点描』『日本城郭大系』)。

諏訪神社は周囲を見渡すに適した地形で、隣の妙昌寺には跡部氏の墓石が並ぶ。

 

(【左写真】諏訪神社 【右写真】妙昌寺の跡部氏の墓 

 

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