松代城

もとは川中島の合戦で重要な武田方の拠点となった海津城。

川中島一帯の穀倉地帯掌握の要所で、上杉謙信が配陣したといわれる妻女山を望め、決戦の地である八幡原からも近距離に所在する。武田四名将のひとりに数えられ、『甲陽軍艦』の原著者とされる高坂昌信が築城したのが起源とされる。また山本勘介の縄張りともいう。

第四次川中島の合戦では、武田信玄はこの城に入り、夜半に八幡原に出陣した。川中島の合戦後も武田氏の重要な拠点であったが、その後さまざまな城主を経て、真田信幸(信之とも)が城主として入り、明治維新までの250年間真田氏10万石の居城となる。

松代城と改名されていたこの城には、九度山に蟄居していた信幸の実父・真田昌幸から生活費を要求する文書が送付されたりもした。現在の石垣などは江戸時代のものであり、戦国武田氏の遺構ははっきり分からない。

 

(現地縄張図)

 

(本丸跡)

 

(【左写真】二の丸南門跡。奥に尼飾城が聳える。【右写真】復元・太鼓門)

 

(【左写真】本丸水堀 【右写真】天守台石垣)

 

(【左写真】二の丸。奥に尼飾城。【右写真】復元・東不明門)

 

(【左写真】井戸跡 【右写真】搦め手の復元・北不明門。)

 

 

 戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送