国分館

標高30m、比高8m。鎌倉時代の創建。

国分氏は海老名城主・海老名氏の一族で、国分三郎有季は、源平交代期の寿永の乱(1180-1185)の際には源氏に与し、承久の乱(1221)では北条泰時の部将として働いたと伝わる。また国分季重は宇治橋の合戦(1221)で負傷している(『吾妻鏡』『日本城郭大系』)。

その居館は、西側に海老名の平野部を一望する台地上の端、奈良時代に聖武天皇が各国に建立した相模国分寺の西方で、現在の字「中屋敷」付近と比定されている(『神奈川県史蹟名勝天然記念物調査報告書』)。

付近は住宅地で何の面影も見られない。

 

(【左写真】字「中屋敷」だが遺構は無い。【右写真】隣接する相模国分寺跡。

(相模国分寺の現地説明板)

 

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