野庭関城

標高80m、比高40m。鎌倉時代初期の築城。

野庭(のば)の地は、武蔵・相模の国境にあたり鎌倉古道が通る要衝で、国境の要所として何らかの要害が築かれたとみられる(『日本城郭大系』)。

戦国時代には、後北条氏の持城となり、玉縄城の出城として、石巻康保、安藤良整などの領主が入城した(『北条九代記』『日本城郭大系』)。

しかし天正十八年(1590)後北条氏が滅亡すると、山林や畑と化し、現在では市営野庭団地となって面影を失った。団地中央の公園付近が本城であったと考えられており、また公園南西600mに外郭の土塁が残るという(『日本城郭大系』)が確認には至らなかった。

(本城とされる公園だが遺構は見られない。)

(現地案内図)

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