上田城

 尼ヶ淵城とも。天正11年(1583)真田昌幸築城。真田町から近く、砥石城からも展望できる千曲川ほとりの要所に建ち、櫓三基、石垣、堀などが残る。

真田昌幸が徳川氏の攻撃を2度にわたって防いだ堅城。特に関が原の合戦時には、西軍についた真田氏を、中山道を行く徳川家康の後嗣・秀忠が大軍にまかせて一気に握り潰そうとするも、昌幸や信繁(幸村)の謀略によって3日間も釘付けにされ、関が原に遅参したのは有名な逸話である。

現在は江戸時代の櫓が残っているだけで、真田氏当時の要塞ぶりを窺う事は困難である。大手門付近の石垣には「真田石」といって、昌幸築城時に使用した巨石があまりの重量で動かす事が出来ずに、その後そのまま使用され続けたという石がある。

作家・遠藤周作氏はその著『埋もれた古城』で上田城をこう懐古されている。「上田城のなかに入ったがそれは、もはや近代的になった城郭の跡だった。それだけに、つまらなく、見物する気持ちもなく、すぐに出てしまった」。まさに同感である。

 

(【左写真】本丸址。近世の城らしく広大である。)

(【右写真】大手門前の石垣にある「真田石」。ただ脇からその裏を覗くと薄い石で、さほど重量はなさそうである。)

 

(【左写真】本丸虎口で北櫓が聳える 【右写真】本丸水堀)

 

(【左写真】井戸跡。抜け道であったという伝説がある。 【右写真】寛永五年1628年建築の現存西櫓)

(本丸土塁)

真田氏諸城配置図

 

 戻る

 

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送