小磯城

文明九年(1477)長尾景春が謀叛して山内上杉顕定を滅ぼそうとした時、景春の被官・越後五郎四郎が篭った城という(『鎌倉大草紙』)。しかし太田道灌に攻められ落城したとされる。

付近は「城山公園」となっているが、正確な城域すら判然としていない状況である。有力説は公園内の旧三井邸のある標高48.6m頂上部とされているが、『日本城郭大系』は、それより南の、国道1号の両脇の丘陵と想定している。また、公園の北側、東海道本線脇の標高67mの「城山」とする説もある(明治40年『大磯誌』)が、いずれも確定的なことは言えず、明確な遺構も残っていない。

 現地案内図

 

(【左写真】城山公園入口 【右写真】頂上部「ひかりの広場」)

(城址遠望)

 

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