押切城

二宮町と小田原市の境を流れる押切川は、すぐ西に塔台川を隣接させている。その間、塔台川が大きく半円形に蛇行する内側に城地がある。

城址についての伝承は殆ど無いが、北条早雲と大森藤頼・三浦義同らが対峙した明応年間(1492-1501)から永正年間(1504-1521)頃、要害として後北条氏に対したものとされる(竹見竜雄『中村郷』)。

明治初期は「城山」と呼ばれた地域で、小田原市役所橘支局の東隣が一郭で、他に二郭や空堀が見られるというが(『日本城郭大系』)、現在は住宅地で明確でない。

(城址だが遺構は見られない。)

(現地案内図)

 

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