北条幻庵居館

北条幻庵は、父・伊勢宗瑞(北条早雲)、母・葛山備中守女とし、明応二年(1493伊豆韮山城に産まれた。幼名を菊寿丸といい、箱根別当を兼ねたが、のちに還俗して北条長綱と名乗り、早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直の五代に亘って後北条氏一門の最長老として政治と軍事に預かった。天正十七年(1589)十一月、後北条氏滅亡のわずか八ヶ月前に、九十七歳で天寿をまっとうしている。また、武将でありながら風流にも通じ、鞍鎧(くらあぶみ)作りの名人で、一節切・連歌・囲碁・茶道などへの造詣も深かった(『日本城郭大系』)

その居館は小田原城内にあったとされ、久野中宿にある「幻庵居館」は、その下屋敷の性格をもつものと考えられる(『日本城郭大系』)。現地には庭園跡が残り、「幻庵お霊屋」と呼ばれる小祠が建っている。

 

(【左写真】幻庵お霊屋 【右写真】庭園跡

 

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