朝倉山城

塩沢城とも。標高1086m、比高157m。

戦国時代の砦・烽火台で、山浦地方を一望にでき、小県・佐久・川中島方面への要路・大門峠を見張るには絶好の地で、湯川砦は東方眼下にあり、甲斐武田氏が使用したと伝えられる。天文年間(1532-1555)、塩沢安兵衛が武田信玄に従って朝倉城を守ったといい、その子・将監も在城し、塩沢寺を開基している(『茅野市教育委員会・現地説明板』)

城の縄張りは、細長い山頂部に、周囲に土塁を持つ円形の主郭を中心に、空堀を挟んで二の郭・三の郭・後郭を一列に配した連郭式で、これに東に張出した烽火台に使われたと思われる郭がある。遺構は、その郭の配置と空堀等をよく残し、付近に越道・水の手・東入・城越・横山・大岩鼻・苅立窪・扇平・鬼久保・駒返などの小字名が残っている。これら城の遺構は、地形状単純であるが、加工度が高く、在地土豪の手によるものでなく、武田氏の改修が入っていると思われる(『信州の山城』『茅野市教育委員会・現地説明板』)。

城址へは、国道152号(大門街道)を北山地区に進み、功徳寺を過ぎてすぐ、滝ノ湯川沿いの県道424号を5分ほど進むと案内板がある。そこから尾根道を15分ほどの登山。

(参考サイト『信玄を捜す旅』)

 (現地縄張図)

 

(【左写真】主郭 【右写真】主郭はきれいに土塁が全周している。

 

(【左写真】二の郭。細長い尾根上にある。【右写真】主郭と二の郭の間の堀切。

 

 (【左写真】三の郭の祠 【右写真】三の郭も細長い地形 

 

(【左写真】三の郭の全体像 【右写真】大手口から主郭を見上げる。

 

(【左写真】烽火台ではないかとされる東郭。 【右写真】烽火台(東郭)からの眺望。 

 

 (【左写真】烽火台(東郭)の堀切 【右写真】搦め手の虎口から城址を見る。

 

 (【左写真】搦め手の堀切 【右写真】山麓には段郭があるが、後年の耕作地か?

 

 (【左写真】城址入口の案内板 【右写真】城址遠望

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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