齢松山城

齢松山(しろやま)城は、中世諏訪氏の支族・矢ヶ崎氏の居城。

17m×19mの主郭に、四辺に幅2m、高さ1mの土塁を設け、8m下に大空堀を回す。その北東下に大規模な二の郭があり、その北は空堀で尾根から断絶している(『日本城郭大系』)。

かつては、矢ヶ崎氏の本城であったようだが、戦略上の重要性から鬼場城が中心になると、その支城に転したものと考えられている(『信州の山城』)。

城址へは、城山団地の麓にある永明寺山遊歩道を入り、山頂に向かって登っていく。10分ほどで尾根まで出たら西南方向(右手)の尾根先端に進み5分ほどで城域に至る。

(参考サイト『信玄を捜す旅』)

 

(【左写真】主郭。一切整備されてない。【右写真】主郭の土塁

 

(【左写真】虎口と思われる場所。【右写真】主郭を巻く帯郭。

 

(【左写真】主郭北側の郭。【右写真】二の郭は大規模なもの。

 

(【左写真】城域端には大規模な堀切が残る。【右写真】搦手口から堀切を見る。

 

(【左写真】城山団地麓の遊歩道入口。ここを登らず「清正公」手前まで進んで登山。【右写真】城址遠望

(登山経路図・国土地理院発行の2万5千分1地形図

 

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